左翼の大嘗祭批判、徹底検証~歴史の重みが「リベラル」には理解できないのか?

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はじめに

 左翼の中には大嘗祭に関して色々文句を言っている人達がいたようです。共同通信によると、大嘗祭当日には抗議集会も行われたようです。

 これで終わってもよいのですが、主要な批判を調べたので、一つ一つ反論していきたいと思います。その前に大嘗祭の意味もわかりやすく解説したいと思います。

 この問題に一文で答えると、
「日本にとって大切なお祭りを、伝統文化に則ってやりました。」
です。               

そもそも大嘗祭とは何なのか?~意味をわかりやすく解説

 大嘗祭(だいじょうさい)は、天皇が即位してはじめておこなう新嘗祭のことです。その年にとれた新穀を、天照大神(あまてらすおおみかみ)や天神地祇(てんじんちぎ)に供え、天皇自らも食するお祭りです。天皇一代に一度しか行われない重要なお祭りです。

 神道の古式にのっとり行われることから宗教色が強く政教分離原則に反するなどと一部から批判されています。また、大嘗宮の建築費用が高いなど、公費支出に関する批判も一部にあります。

批判その一、「台風被害で大変な時に公費を使いすぎ」への反論~27億円は高すぎ?

 1つ目の批判は、台風被害で苦しんでいる人たちがたくさんいる時に公費を使いすぎだというものです。大嘗宮建設で19億円、合計27億円が高すぎるというわけです。

 では、逆に聞きたいのですが、大嘗祭を中止して27億円が浮いたとしたら被災地の状況は何か変わるのでしょうか。

 変わりません。

 被災地への復興などの予算は別途組まれるからです。

 もし仮に、日本が財政破綻寸前の国であればこの批判も理解できます。しかし、現在の日本国は世界的に財政破綻から最も遠い国の一つです。財務省や一部の学者が財政危機を煽るので勘違いしている人も多いようです。

 蛇足ですが、批判している人達は公費からの支出が仮に、一万円だったら納得するのでしょうか。

 決してしないでしょう。

 そもそも、彼らは大嘗祭に公費が使われること自体が許せないのですから。

批判その二、「大嘗祭は法的根拠がない」への反論~日本の「慣習法」

 2つ目の批判は、大嘗祭を行う根拠となる法律が存在しないというものです。旧皇室典範、登極令には規定があったが、今の皇室典範には規定がないではないかというわけです。

 このような批判をする人達は「憲法」とは何たるかを理解していない人達です。憲法(コンスティテューション)とは何も文章になっている法典だけを指すのではありません。その国の伝統、慣習、判例なども含めて「憲法」なのです。

 大嘗祭は千年以上の歴史があります。これは「慣習」であり「憲法」と言って差し支えありません。

 ですから、法的根拠は何かと問われれば、慣習法です。日本のように二千年、どれだけ少なく見積もっても千三百年の歴史がある国においては「慣習」という観点を忘れてはなりません。文字に書かれていることだけが「憲法」ではないのです。

批判その三、「政教分離に反する」への反論~「原則」と「例外」

 3つ目は、政教分離の原則に反するのではないかというものです。

 政教分離の原則とは、特定の教団に対して、政府が優遇したり弾圧したりすることを禁止しているものです。日本国憲法の20条には、政教分離の規定があります。

 では、大嘗祭はどうでしょうか。神道に基づいたお祭りです。

 しかし、日本国憲法には「天皇」が明記されています。「天皇」とは元来宗教的な存在です。

 これだけ見ると、政教分離の原則に反するという批判は正しいようにも思えます。

 宗教的な存在である天皇と政教分離の原則、一体どちらが正しいのでしょうか。

 結論を言うと、政教分離はあくまで「原則」であって、天皇は「例外」であるというのが正解です。

 法律は矛盾がありません。一見矛盾するように見える時は矛盾しないように解釈する、これは法学の基本です。

 人を殴ることは犯罪です。これが「原則」です。しかし、殴られたので殴り返した場合は正当防衛です。これが「例外」です。これと同じです。

まとめ~批判者に惑わされず伝統と文化を守ろう

 批判が的外れであることを書いてきました。大嘗祭は千年以上の歴史を持つ大事なお祭りです。

 自称「リベラル」の人達は、もっともらしいことを言いながら、日本の伝統や文化を破壊しようとします。これまでもしてきました。

 「もっともらしい意見」に騙されない知見を、一人一人が身につけることが求められています。

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